ジョン・ウィック:コンセクエンス

あれですね、監督のねらいとしてはおそらく、「生身の人間を使っていかにゲーム的なアクションを行うか&画面作りをするか」というものがあって、さらにドラクロワ神曲といったアーティスティックなモチーフを散りばめることで、『ジョン・ウィック』という神話を作ろうとしたのだと思う。そしてその意図はこの4作目において見事に達成されており、現代が舞台であるにもかかわらず、「ジョン・ウィック的」な世界観が顕現していた。いやすっげえなあ、アクションにアクションを重ねて、裏社会以外の「社会」や「一般市民」描かないことで、スタイリッシュな異世界が出来上がっている。アクション=アートという哲学を感じるほど精緻に組み立てられた殺陣の数々も凄かったし、あれ撮るのも演るのもめちゃくちゃ大変でしょ、よくやったなあ。

 

3作目を観た人なら想像できることだけど、やっぱりこれはウィックが「何者として死ぬか」という物語であって、最後に彼は求めていた安穏とした場所へ辿り着く。そこに行き着くまでの旅路はひどく険しくてあまりにも過酷なのだけど、上で書いた通りウィックは「ゲーム的な存在と生身の人間の中間」みたいなキャラなので、いくら攻撃されても、どれだけ走り回っても、致命傷ではない限り無尽蔵に体力があるから大丈夫。と書くとヘンテコな映画だと思われそうだが、実際これはかなりヘンテコな映画で、「ゲーム」っぽい部分がリアリティラインをググッと下げている。でもそれをあまりおかしく思わないのは、シリーズが進むたびに徐々にリアリティラインを下げていたせいなのだと思う。これによってより『ジョン・ウィック』の世界はスムーズに受け入れられる。たぶん監督は確信犯で、最初から「夜」、というか「ネオンだったり、「影」だったりを象徴的に映すことで、この世界を作り出そうとしていたんだろうな。

 

この異世界感は例えば『ブレードランナー』なんかの異世界観に近くて、「ここ」なのにここじゃない感覚があり、とっても素敵。不思議な手触りは他にもクラブのシーンとかが印象的で、激闘を繰り広げるウィックとキーラをほとんど無視して踊り続ける観客を見ていると、『ストリートファイター』の背景となっている観客を彷彿としてしまう。こういう主役ではない人たちや、描かれない普通の社会がこの作品を一段階別のものにしている。

 

モチーフであるダンテ『神曲』は三分構成の物語で、「地獄篇」、「煉獄篇」、「天国篇」に分かれている。ダンテとは違い、ウィックは元々裏社会の人間だったことから地獄に「迷い込む」というよりかは「連れ戻される」と言った方が正しく、行ける範囲は良くて「煉獄」くらいだ。だからそもそもウィックを始めとする登場人物たちは現世に存在しておらず、そこに住まう平凡な人々とは関わることすらない。

 

ではウィックが何を求めているかと言えば、それはダンテが久遠の女性としてベアトリーチェを求めたのと同様に、亡き妻であるヘレンとの再開だ。それは彼にとって「平穏」であると同時に「死」を意味することとなる。何十人も何百人もそれこそ冗談みたいな数の人を殺してきたウィックが果たして死ぬことにより「天国」に行き、ヘレンと再会出来たかは甚だ疑問だけど、彼は間違いなく「妻を愛する者」として死んだ。見事だった。素晴らしかった。彼に訪れた安らかな死を私は祝福する。

 

あとウィックとウィンストン、「ジョン・ウィックの製作者たち、そして私たちの良き「友」としてその生を全うしたシャロンに感謝を。ありがとうランス・レディック、あなたの不在がこの映画で私は一番悲しかった。